2011年 11月 15日
墓場見物♪MILANO 前編
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そろそろイギリスネタでも〜と行きたいとこだけど
今年の二月に行ったミラノレポがここ(←クリックどうぞ♪)で途切れたまま…
しつこい性格なので(笑)記事にしてしまうことに。
ミラノへは相方の仕事のお供で出かけるので、
日中は一日3ユーロ程度の乗り物一日券を手にして思いのままに
あちこちをぶらぶら。もう何度かこんな形で訪問していて、
美術館や博物館は大体制覇しているので、
無料のイベントを探して突撃☆したのがこちら(↓)
ここで、無料ガイドツアーがあるというので出かけてみたけど、
残念ながら集合時間に間に合わず、
どうやら公開休みの日の特別企画だったらしく、中にすら入れず…。
ただ、門の外から見た印象があまりにも立派だったのと、
門に張り付いてたら、守衛のお兄さんがとても親切にしてくれたので、
日を改めて再訪することに。
で、ここは…
1863年から1866年にかけて設計され、1867年に完成。
その面積は25万㎡におよび、3つの区画に分けられていて、
中央部は、カトリック信仰の人々の墓のおかれている部分、
左側は非カトリックの人用、右側はユダヤ人の墓といった具合。
一言で墓地とはいっても、彫像、小礼拝堂、礼拝堂など多数の記念碑が
この記念墓地のために大勢の建築家や芸術家達によって作り上げられた。
特別に重要なのが、記念廟であり、大理石とレンガを用いた
ネオクラシック様式の巨大な建造物で、
当初は教会として設計されたものの1870年以降は
イタリアの重要人物の墓所として利用されるようになった。
たとえば、イタリア文学上最も重要な作家の一人、
アレッサンドロ・マンツォーニ(1785年〜1873年)や
政治家カルロ・カッタネオ(1801年〜1869年)など。
↑なんてことも知らずに(爆)門をくぐってへ記念廟接近。
この階段を上って…
いざ中へ〜=333
入ってみたホールはとてもキラキラ☆☆☆
天井を見上げると…(↓)
エントランスを通り抜けると、長〜い回廊が延びていて、
ここからすでにいろんな人の記念碑。
これ(↓)も全部お墓にあたるらしい…。
建物をぬけて外に出ると… ここから(ひとり)墓場ツアーの始まりはじまり〜☆
…だけど、続く(笑)
ごちそうさま♪
今年の二月に行ったミラノレポがここ(←クリックどうぞ♪)で途切れたまま…
しつこい性格なので(笑)記事にしてしまうことに。
ミラノへは相方の仕事のお供で出かけるので、
日中は一日3ユーロ程度の乗り物一日券を手にして思いのままに
あちこちをぶらぶら。もう何度かこんな形で訪問していて、
美術館や博物館は大体制覇しているので、
無料のイベントを探して突撃☆したのがこちら(↓)
Cimitero Monumentale(記念墓地)
興味のある方はこちら(←クリックどうぞ♪)
ここで、無料ガイドツアーがあるというので出かけてみたけど、
残念ながら集合時間に間に合わず、
どうやら公開休みの日の特別企画だったらしく、中にすら入れず…。
ただ、門の外から見た印象があまりにも立派だったのと、
門に張り付いてたら、守衛のお兄さんがとても親切にしてくれたので、
日を改めて再訪することに。
で、ここは…
1863年から1866年にかけて設計され、1867年に完成。
その面積は25万㎡におよび、3つの区画に分けられていて、
中央部は、カトリック信仰の人々の墓のおかれている部分、
左側は非カトリックの人用、右側はユダヤ人の墓といった具合。
一言で墓地とはいっても、彫像、小礼拝堂、礼拝堂など多数の記念碑が
この記念墓地のために大勢の建築家や芸術家達によって作り上げられた。
特別に重要なのが、記念廟であり、大理石とレンガを用いた
ネオクラシック様式の巨大な建造物で、
当初は教会として設計されたものの1870年以降は
イタリアの重要人物の墓所として利用されるようになった。
たとえば、イタリア文学上最も重要な作家の一人、
アレッサンドロ・マンツォーニ(1785年〜1873年)や
政治家カルロ・カッタネオ(1801年〜1869年)など。
↑なんてことも知らずに(爆)門をくぐってへ記念廟接近。
この階段を上って…
いざ中へ〜=333
入ってみたホールはとてもキラキラ☆☆☆
天井を見上げると…(↓)
エントランスを通り抜けると、長〜い回廊が延びていて、
ここからすでにいろんな人の記念碑。
これ(↓)も全部お墓にあたるらしい…。
建物をぬけて外に出ると…
…だけど、続く(笑)
ごちそうさま♪
by macoan
| 2011-11-15 00:49
| 屋台は海を越える