2010年 09月 28日
名作の母をたずねて〜
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Bruggeレポの前に…寄り道!?でも〜(笑)
Antwerpenではビールだけでなく
ネロとパトラッシュをたっぷり味わったけど、
原作者のOuida(ウィーダ)の出身地が
屋台小屋から車で1時間程のSuffolk州Bury St Edmunds
ということが発覚☆
そこには彼女の記念碑があるらしいとのことで…
もちろん(笑)突撃〜=3
彼女は40本以上の小説を書き、
その作品の出版でかなりの収入を得たが、
派手な生活をしてそれを浪費してしまった。
父親の死後、旅行で訪れたイタリアのフィレンツェに
1874年に移住。
初期の頃の作品は売れ続けてはいたが、
作品の著作権を失っていたために著作権料は入って来ず、
最後にはイギリス政府からの僅かな年金のみの収入と
なってしまい、食うにも困る生活に陥ってしまった。
苦しい生活の中で出費の殆どを飼犬の餌代に充てていた
彼女はホテル代を節約するために、
馬車の中で寝泊りをすることもあったよう。
それを見かねて彼女に寄付をする人もいたようだが、
彼女は熱心な動物愛護家でもあったため、
彼女に集まったお金は自分のためでなく
動物のために使ってしまっていたとのこと。
1908年1月25日イタリア トスカーナの
海水浴場で有名だったViareggioの安ホテルの一室で
彼女の死体が発見された。
その姿は「フランダースの犬」のネロの最後のように
飼い犬を硬く抱きしめて亡くなっていたとのこと…。
そしてOuidaがなくなった同じ年に
フランダースの犬の日本語訳版が初めて出版。
ちなみに屋台には…
ごちそうさま♪
Antwerpenではビールだけでなく
ネロとパトラッシュをたっぷり味わったけど、
原作者のOuida(ウィーダ)の出身地が
屋台小屋から車で1時間程のSuffolk州Bury St Edmunds
ということが発覚☆
そこには彼女の記念碑があるらしいとのことで…
もちろん(笑)突撃〜=3
彼女は40本以上の小説を書き、
その作品の出版でかなりの収入を得たが、
派手な生活をしてそれを浪費してしまった。
父親の死後、旅行で訪れたイタリアのフィレンツェに
1874年に移住。
初期の頃の作品は売れ続けてはいたが、
作品の著作権を失っていたために著作権料は入って来ず、
最後にはイギリス政府からの僅かな年金のみの収入と
なってしまい、食うにも困る生活に陥ってしまった。
苦しい生活の中で出費の殆どを飼犬の餌代に充てていた
彼女はホテル代を節約するために、
馬車の中で寝泊りをすることもあったよう。
それを見かねて彼女に寄付をする人もいたようだが、
彼女は熱心な動物愛護家でもあったため、
彼女に集まったお金は自分のためでなく
動物のために使ってしまっていたとのこと。
1908年1月25日イタリア トスカーナの
海水浴場で有名だったViareggioの安ホテルの一室で
彼女の死体が発見された。
その姿は「フランダースの犬」のネロの最後のように
飼い犬を硬く抱きしめて亡くなっていたとのこと…。
そしてOuidaがなくなった同じ年に
フランダースの犬の日本語訳版が初めて出版。
ちなみに屋台には…
ごちそうさま♪
by macoan
| 2010-09-28 08:36
| 英国放浪記